ロニー・コールマンは1998年からミスターオリンピアを8連覇した史上最強のボディビルダーです。
そんなロニー・コールマンの最強の肉体を作り上げた
『勝利の方程式』ともいえる25の秘訣を紹介していきます。
最強の肉体を作り上げる勝利の方程式
① 小さな筋肉も軽視しない
腹筋とカーフはコールマンの弱点部位であり、腹筋とカーフのトレーニングにコールマンは特別に重点を置いていたようです。
どちらの筋群もオフシーズンには1日おき、そしてコンテスト前には毎日トレーニングし、小さな筋群も決して軽視せずにトレーニングしていました。
一か所だけコールマンが単独で鍛えなかった小さなボディパートが前腕でした。
コールマンが行う凄まじい高重量トレーニングで、バーを握るだけで前腕が成長していったのです。
② 中程度の強度で行う
レストポーズ法やフォーストレップ法といった高強度テクニックについて尋ねられた時、コールマンはこのように答えました。
そのようなテクニックを重視した事は1度もない。
ハードにトレーニングするだけ。
それだけで充分だ。
コールマンは通常10~12レップが最大となるウェイトでトレーニングを行い、それを終えるとジムを後にしていた。
③ 自己暗示をかける
ロニー・コールマンにはトレーニングに関する『コールマン語録』と言われる名言がいろいろあります。
最も有名なのが
「Light Weight!(ライウェイ!)」
と言う言葉です。
これは実際とは逆の言葉を言うことで自己暗示をかけるというコールマンが常に使っていた方法です。
600lb(272.2kg)のティーバーローや、700lb(317.5kg)のスクワットを行う時
Light Weight!baby!!(ライウェイ!ベイベー!!)
とコールマンは常に自分に自己暗示をかけていたのです。
④ ウォーキングランジを行う
コールマンが行っていた有名な種目が、ウォーキングランジです。
ウォーキングランジは、コールマンが好んで行っている種目だと知られる前は、ヤワな種目だという印象が強かったようです。
しかしコールマンが176lb(80kg)のバーベルを担ぎ、ランジで広い駐車場を歩く姿が知られるようになると、ウォーキングランジ(パーキングロットランジ)の名で呼ばれるようになり、ランジの評価は一挙に高まったのです。
⑤ 問題がなければ変える必要はない
最大のライバルだったジェイ・カトラーはトレーニング内容をその場で変えることも多かったが、コールマンは常に同じトレーニングスプリットで同じ種目を同じ順序で行っていました。
「問題がなければ変える必要はない」
というのがコールマンの信念だったようです。
変えることといえば、10~12レップの範囲でウェイトを増やしていくか、同じウェイトでレップ数を増やしていくだけ。
それ以外のトレーニングには少しの変化も取り入れる事はなかったのです。
⑥ 南部スタイルを貫く
もう1人のミスターオリンピア8連覇チャンピオン、リー・ヘイニーと同じく、コールマンはアメリカ南部の出身です。
コールマンの名言「ピーナッツ以外の何物でもねぇ」という言葉や猛暑で湿度が高い気候、南部料理への愛着に至るまで、ボディビルに対するコールマンのアプローチは、48年間を生きてきたアメリカ南部の影響を強く受けているのがわかります。
中でも南部スタイルが最も強く表れているのが、食べ物の嗜好です。
朝食にはチーズ入りのグリッツを食べ、チキンにはバーベキューソース、トレーニング後の食事にはコーンブレッドとレモネードをよく食べていたそうです。
⑦ 自宅で有酸素運動を行う
コールマンのプロキャリアは1992年~2007年、この時期はちょうどボディビル界で有酸素運動の革命が起こった時期です。
90年代初め、スポーツジムにトレッドミルとステップミルが導入され始めました。
コールマンは2000年代初めに自宅を改築してホームジムも備え、ステップミルを自宅に置き、いつでも有酸素トレーニングが行えるようにしていました。
現在ではトップビルダーの多くは自宅に有酸素マシンを備えていますが、この流れを作ったのはロニー・コールマンなのです。
⑧ 筋力の基礎を作る
コールマンはキャリアを通じてメインセットのほとんどを10~12レップで行っていました。
しかし、大学時代にはフットボール選手として活躍していたコールマンは、ボディビルキャリアの初期には低レップのトレーニングで筋力の基礎を作り上げました。
1994年に出場したパワーリフティングの大会では、113.4キロの体重でデッドリフト330kgを上げ、その翌年ボディビルのプロコンテストで初優勝を遂げたのです。
⑨ 胸の種目はプレス系種目に絞る
コールマンは17年のボディビルキャリアの中で、様々な胸の種目を試し、最終的に自分にとって最も効果の高いものだけを選び出しました。
その種目こそがプレス系種目であり、プレス系種目を大量に行っていたのです。
オリンピア制覇時代終盤では、ダンベルフライもトレーニングから除外していました。
週2回の胸トレーニングの1回はインクライン、デクライン、フラットベンチでのバーベルベンチプレスをそれぞれ4セットずつ行い、もう1回はそれらのすべてをダンベルで行っていました。
⑩ 脚のトレーニング
ボディビルダーの多くは大腿四頭筋とハムストリングスを別の日に鍛える方法をとっています。
しかしロニー・コールマンは1回のトレーニングで、脚全体をトレーニングしていました。
脚のトレーニングについてロニー・コールマンはこう語っています。
『脚は一気に鍛える。それが私には常にベストの効果をもたらした。ランジやレッグプレスといった大腿四頭筋の種目ではハムストリングも刺激される。そのため脚は前後面を一緒にトレーニングするのだ。』
⑪ トレーニングはバラエティーを組み込む
ロニー・コールマンは各ボディパートを週2回、それぞれ異なるルーティンで鍛えていました。
つまり、トレーニングのバラエティ要素も組み込まれていたわけです。
背中のトレーニングの場合、1回は厚みを作ることを目的とし、3日後の背中のトレーニングは幅を大きくすることを目的とするなど、それぞれ異なる種目を行っていました。
胸のトレーニングは、1回はバーベルのみを使い、3日後の胸のトレーニングではダンベルのみを使っていました。
このように、同じ部位でも様々な角度から刺激を変えて負荷を与えることで、身体を成長させていったのです。
⑫ 音楽でパワーアップ
ロニー・コールマンのホームジムであるメトロフレックスジムでは、アメリカの人気ラッパー「DMX」の曲が大音量で流れていました。
ロニー・コールマンは、このギャングスターラップを大音量で流すことで、DMXの叫び声とともに自身の筋肉も全力で追い込んでいたのです。
⑬ 限界を超える
身長180センチのロニー・コールマンは、最も重かった時で134.3kgという驚異のバルクでコンテストに出場していました。
そしてロニー・コールマンが扱う重量は、オリンピア選手の中でも考えられないレベルでもありました。
IFBBプロコンテスト26回優勝という記録を持つロニー・コールマンの際立った特質は、限界と言う考えがなかったのでしょう。
限界という考えをなくしていくことで、ロニー・コールマンの筋肉は超越していったのです。
⑭ フリーウェイトで背中を鍛える
コールマンはフリーウェイトの基本種目を重視していました。
その影響が最も強く表れているボディパートが背中です。
広背筋のトレーニングではローイングマシンを使うボディビルダーが多い中、ロニー・コールマンが世界最高の背中を作り上げるために使ったのは、Tバーロウ、バーベルロウ、ワンアーム・ダンベルロウ、デッドリフトといった基本的なフリーウェイト種目でした。
背中の幅を作るトレーニングでは、ラットプルダウンやロウ・ケーブルロウも行っていましたが、それらのマシン種目はバラエティーの一部でしかなかったのです。
⑮ 同じ食事を摂り続ける
ロニー・コールマンはテキサス州アーリントンで警察官を務めていましたが、何年もの間、同じ店で、同じメニューを、同じ席で食べていたそうです。
午後2時に行きつけのレストランでトレーニング後の食事を摂るのが決まりで、いつも鶏胸肉2枚、ベイクドポテトとコーンブレッド。
午後6時に再び同じレストランに行き、鶏胸肉2枚とコーンと豆。
夜10時には行きつけのステーキレストランで、ステーキとベイクドポテトを食べる。
トレーニングと同じように、食事もいつも同じ方法を摂り続けていたのです。
⑯ 高温多湿に強い強靭な体質
ロニー・コールマンはルイジアナ州モンローで育ち、地元のグランブリング州立大学でフットボールをしていました。
そのため、38度を超す猛暑と高い湿度の中でトレーニングすることに慣れていたのです。
当時のメトロフレックスジムにはエアコンがなかったのですが、それでも真夏の最も暑い時間帯にハードなトレーニングをする事は、コールマンにとっては当たり前のことだったです。
⑰ 1人でトレーニングする
ロニー・コールマンは、キャリアの終盤になると、大抵1人でトレーニングしていました。
最高重量でセットを行う時は、メトロフレックスジム経営者(ブライアン・ドブソン)とボディビルダーのロバート・リーが補助を行っていたようですが、2人ともパートナーとして一緒にトレーニングを行うわけではありませんでした。
実際のところ、ロニー・コールマンが強すぎて、トレーニングについてこれる人がいなかったようです。
もしロニー・コールマンとパートナーを組むとしたら、例えばレッグプレスでは常にプレートの調節をしなければいけませんが、ロニー・コールマンは2000lb(907.2kg)以上の重量を使っていたのですから、プレートの付け外しだけで大変なことになってしまいます。
そのほか、ロニー・コールマンは自分のペースでトレーニングするのを好んでいたようで、性格的な部分もあったのでしょう。
ミスターオリンピアとして世界中を回る彼のスケジュールに合わせなければならないことも考えると、トレーニングパートナーの条件は厳し過ぎます。
⑱ 最適の方法で成長を引き出す
コールマンが使っていた凄まじい重量について取り上げられることが多いですが、それも当然です。
800lb(362.9kg)でデッドリフトやスクワットを行う映像には圧巻ですからね。
コールマンはほとんどのセットで10~12レップで行っていたそうです。
このレップ数は筋肉の成長を引き出す効果が最も高いとされているレップ範囲です。
普段は600lb(272.2kg)以上で10レップ程度のスクワットやデッドリフトを行っており、こうした普段のトレーニングは、たまに行う圧巻なトレーニングの影に隠れてしまっています。
⑲ 大量に何度も食べる
ロニー・コールマンは、トレーニング後にプロテインを100ℊ飲み、その後すぐに行きつけの南部料理レストランで鶏胸肉2枚を食べていました。
これは、トレーニング終了から30分以内にタンパク質を約200グラム摂ったことになります。
大量に何度も食べる事はロニー・コールマンの増量計画の基本だったのです。
⑳ 真夜中にも食べる
ロニー・コールマンは、オリンピア制覇の数年間、一日の最後の食事を午前2時頃に摂っていたそうです。
ロニー・コールマンは、夜遅くまで起きていて起床時間も遅かったのですが、食事とトレーニングをしっかり実践すれば、筋肉作りはどんなスケジュールでも行えることを示す実例でもあります。
㉑ コンパウンド種目から始める
ロニー・コールマンは、通常はトレーニングの最初にコンパウンド種目でスクワットを行い、セットごとにピラミッド式にウェイトを増やしていました。
そして、週2回の脚のトレーニングのうち、1回はスクワット(コンパウンド種目)の前にレッグエクステンション(アイソレーション種目)を行い、予備疲労法のテクニックを取り入れていたようです。
㉒ メトロフレックスジム
クモの巣が張り、ほこりが舞い上がるガレージほどのスペースを、大量の重い金属ウェイトが占拠し、駐車場は舗装もなく、砂利が敷き詰められているだけという、洒落た最新設備など全く無縁の場所、それがテキサス州アーリントンのメトロフレックスジムです。
そんなメトロフレックスジムですが、今ではボディビル界で最も有名なジムとして知られています。
ロニー・コールマンが17年ものボディビルキャリアを通してトレーニングを積んでいたのが、このメトロフレックスジムなのですから。
メトロフレックスジムは、トレーニングのみに専念する場所であり、洒落たフィットネスクラブと違って気を散らすものは何もありませんでした。
そこでロニー・コールマンはトレーニングに打ち込み、どのセットからも最大の効果を引き出してきたのです。
㉓ 組み合わせて鍛える
ロニー・コールマンは、ストレートセット(各種目を1種目ずつ、指定のセット数を終えてから次の種目に移るオーソドックスな方法)を好んで行っていましたが、スーパーセットやジャイアントセットを行うこともありました。
そのような方法を行うときは、②で説明した小さな筋群を鍛える場合です。
カーフのトレーニングでは、シーテッドとスタンディングのカーフレイズをスーパーセットで行い、腹筋にはスーパーセットあるいはジャイアントセットを行っていました。
㉔ プッシュ/プル スプリットを使う
脚の場合とは違い、ロニー・コールマンは腕の2つの筋群(上腕二頭筋、上腕三頭筋)は別々のトレーニングで鍛えていました。
プッシュ / プルのスプリットを使い、上腕三頭筋はプッシュ種目のトレーニングで胸の後に鍛え、上腕二頭筋は背中の後にプル種目でトレーニングしていたようです。
ロニー・コールマンは各ボディパートを週2回トレーニングしていたので、プッシュ / プルのスプリットを採用することによって、どのボディパートにも最大限の回復時間を与えることが可能だったのです。
もしコールマンが背中と上腕二頭筋を別の日にそれぞれに週2回トレーニングしたとすれば、上腕二頭筋は背中の種目で補助的に使われるため、週4回鍛えられることになり、回復が間に合わずに筋肥大を阻害してしまっていたことでしょう。
㉕ 年齢とともに成長する
2001年のオリンピアでロニー・コールマンは、新進気鋭のジェイカトラーに敗北しそうになりました。
その翌年には、オリンピア2週間後のコンテストでグンター・シリーカンプに敗れたのです。
この時、ロニー・コールマンは38歳で、周囲からは敗北の要因が年齢であるといわれていました。
しかし2003年、39歳のロニー・コールマンは、前年より約50lb(22.7kg)増量し、40歳となる2004年にはさらに前年より50lb(22.7kg)増量して驚異的な肉体を作り上げたのです。
中年期に差し掛かるとサイズを失うボディビルダーが多いなか、ロニー・コールマンは肉体をさらに進化させ続けていました。
そしてこの進化は偶然ではなく、計算されつくした戦術でもありました。
中年期になると、ロニー・コールマンが90年代に見せていたような、若々しく鋭いキレのある肉体を作り上げることはできません。
しかし筋肉量であれば誰をもしのぐ肉体を作ることが可能であり、実際にロニー・コールマンは前例のないレベルでそれを達成し、最後の8回目のオリンピアタイトルを獲得したのです。
そしてボディビル界のレジェンドと呼ばれる存在となり、そのハードなトレーニング中に発する叫び声が筋肉作りに熱心に取り組む多くの人たちの意欲を刺激する存在となったのです。
Light Weight!baby!!(ライウェイ!ベイベー!!)
